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2010年2月16日(火) 清志朗とともに

久々にHEP FIVEに行ってきた。HEP HALLでやってる「個展 忌野清志朗の世界」を見るためだ。
せまくるしい会場には清志朗がまだ栗原清志だった頃からの絵画と漫画とデッサンと清志朗になってからのステージ衣装やアルバムポスターだったりが所狭しと並べられていた。何を見に来たのか?はよくわからなくなってしまったが満足して出てきた。いつもそこにあったのでそんなにかまわなくていいものが急に無くなって困ってしまうことがある。言い方が悪いかも知れないがそんな気分だった。清志朗がいなくなって青山に飛んで行くことは無かったが、今更のようにCDを聞き返したりDVDを見ている。清志朗がRCサクセションとしてデビューしたのが1970年、清志朗とともに生きてきた時間が39年。スティーブクロッパーのプロデュースによる「夢助」を聞いてほしい。ナッシュビルの乾いた音の中に、清志朗のソウルが詰まっている。

2010年2月20日(土) 渋澤龍彦とイタリア

イタリアから帰って2ヵ月が経とうとしている。ふと書店で「渋澤龍彦のイタリア紀行」という本を見つけて買って帰った。最近やけに1970年から抜けられない僕は「1970年、書斎派が世界へ飛び出した」という巻頭のふれこみに魅せられてしまった。
渋澤龍彦に傾倒した若かりし頃の記憶はほとんど無くなってしまっていたが、同じヴェネチィアに行ってもローマに行っても渋澤が見るものは僕とはぜんぜん違っていた。それは造詣の深さの違いではあるにせよ、ドゥオーモの天井画をみてもその地獄画図ばかりみているという風で、ティヴォリの奇怪な噴水、ボマルツォの怪物庭園と決してガイドマップには載ることのないイタリアがそこにあって面白かった。そんな旅はなかなか出来ないだろうとは思いながらも、この本片手にイタリアにまた訪れてみたいものだとこっそり思うのである。こっそりということでは渋澤にまさるものはない。