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2010年2月20日(土) 渋澤龍彦とイタリア

イタリアから帰って2ヵ月が経とうとしている。ふと書店で「渋澤龍彦のイタリア紀行」という本を見つけて買って帰った。最近やけに1970年から抜けられない僕は「1970年、書斎派が世界へ飛び出した」という巻頭のふれこみに魅せられてしまった。
渋澤龍彦に傾倒した若かりし頃の記憶はほとんど無くなってしまっていたが、同じヴェネチィアに行ってもローマに行っても渋澤が見るものは僕とはぜんぜん違っていた。それは造詣の深さの違いではあるにせよ、ドゥオーモの天井画をみてもその地獄画図ばかりみているという風で、ティヴォリの奇怪な噴水、ボマルツォの怪物庭園と決してガイドマップには載ることのないイタリアがそこにあって面白かった。そんな旅はなかなか出来ないだろうとは思いながらも、この本片手にイタリアにまた訪れてみたいものだとこっそり思うのである。こっそりということでは渋澤にまさるものはない。

2010年3月16日(火) ボブディラン楽団登場

春の大雨の大阪南港、会場のZepp Osakaにはオールスタンディングの場所取りの人たちであふれかえっていた。7:00PMきっかりに始まったライブ。ステージ右側のキーボードのあたりに陣取ったボブディランはやせているだろう大柄の体にジャケットを着て大ぶりのシルクハットを深くかぶっている。「Highway 61 Revisited」「Ballad Of A Thin Man」「Like A Rolling Stone」どんどんセットリストが進んでいくうちに、なんでこんなにゴリゴリやねんという思いがしてきた。そういえばディランのライブは初めてである。初めてディランのアルバムを聴いたのが18歳、当時ディランは46歳と考えると当時でもう十分過去の存在であっていいはず、あれから22年ディランはずっと変わり続けながら歌い続けているのだ。ディランが初めてエレキギターを持ってステージに立った時、フォークを捨てたのかと投げつけられた石に額を切り流血しながら、それでも歌い続けたというエピソードを聞いたことがある。時代が形を変えていくことを彼は受け入れ続けて進んで来たのである。ほとんどアレンジも歌声も変わってしまっていてHPで発表されたセットリストを見ないとわからない曲もあったけど。
終演後CD販売コーナーにあったディスコグラフィーのパネルの画像を見てほしい。68歳のディランが笑っているような気分になる。