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2010年12月6日(月) 15th ANNIVERSARY BONNEY PINC

2010年12月3日、その夜なんばハッチに詰めかけた人達は幸せだったと思う。「BONNEY PINC TOUR 2010 Dear Diary」ツアーファイナル大阪。メドレーを数えると全24曲、2時間半を超えるパフォーマンスにも彼女はその場を離れることをためらうほど熱い夜だった。翌日早速ファンブログを開くと書いてあった文章に僕はうなづいた。「彼女もファンの私たちもすっかり、おとな」そうなんだ。1995年10月「オレンジ」で鮮烈なデビューをして以来15年、ずっと彼女が届けてくれる新しい表現の楽曲に僕らはこころを動かされ続けた。そのストレートな感情をファッショナブルに昇華させた楽曲と彼女自身の生き方のスタイルは確実に支持を増やしていく。しかしここまでの道のりも楽ではなかったことをライブ中に彼女は振り返った。ただその神経質なまでの音楽へのこだわりや許すことのない自己の表現への執着にいつでも頭が下がる。「みんながいてくれるからまた頑張ろうと思う」という彼女の言葉は本当に嘘ではない。昨年の「ONE」ツアーの模様を今作の初回限定版アルバムで見ることが出来るがその完成度は高くファンの間でも評価も高い。今回も同じツアーメンバーを引き連れてさらに厚くなった音作りと長いことやらないとうまれない完ぺきな息遣いに圧倒される。すっかりおとなになったのだがいつまでも最初に出会ったような気持ちにさせてくれる彼女にファンである僕が言えることは「15周年おめでとう」ということに尽きる。そしてありがとう。

2010年12月18日(土) なほとか通信2010

2010年という年がある程度アニバーサリーイヤーになるべく頑張ってきた。なぜか?何となく今となって思うのはジタバタしてみたいような気になったんだと思う。いろんな意味も含めて。いろんな状況に対して受け入れるだけの提起と経過と結果が必要だったということにしておく。
2月の末に「コナミ」というフィットネスクラブに入会した。「盛る自分」というブログをはじめ、一連のマラソン挑戦企画はそのころから徐々に始まり「久米島マラソン」「ホノルルマラソン」というかたちに変えてフィナーレを迎えた。
コンサートにも結構行った。3月15日 「BOB DYLAN」ZEPP大阪を皮切りに 7月2日「LOVE PSYCHEDELICO」難波ハッチ。7月31日「シャフラノフ」LIVE in 通天閣。 8月22日「レインボージャンボリー」万博もみじ川芝生広場。10月4日「SONNY ROLLINS」 JCBホール。12月1日「A.A.A KIVE in OSAKA」大阪城ホール。 12月3日「BONNEY PINC」難波ハッチ。
そのほか清志朗の展示会にも行ったし、写真展にも結構行った。大好きな大川の家具屋に足を運んだし沖縄にも2回行った。こうやって書くと本当に仕事をしてる暇がないほど遊んでいるような気もするが、そうでもなく結構仕事もしてるはずなんだが。そこんところはみなさんの判断を待つとする。
人生において受け入れることが必要な時があると思う。40歳になることもその一つだし。結婚することもその一つだし、会社を続けていくこともその一つだと思っている。よりよいことを願ったり、全く違うものを望んだりすることが誰でもあるし、「突きぬけてしまおう」というようなことを示唆する映画がもてはやされる時代ではあるが、あえて何にもないことのほうが結構幸せなんだとういうことを自分に知らしめる時間がこの1年だったような気がしている。
こうやって馬鹿げたことを書いている時間があることに今は感謝しなければならないと思う。来年のことはまた来年決めるが、皆さんにとっても弊社ハニカムにとっても少なくてもひとつでも悲しいことや悪いことが減ってつつがなくやっていける年であることを願いたい。「なほとか通信」はひとまずこれにて終了する。ありがとうございました。皆様とはまた違うかたちでお会いできるよう頑張ります。2010年12月18日