今日色眼鏡   ハニカムの日常を映す色眼鏡

2017年 no.2

「年の終わりに」

何となく日々過ぎてしまっている毎日ですがそれが年末になるとこうも気ぜわしいのか思うぐらい時間が足りなくなることがあります。最近めっぽう短く感じる一日も以前よりは一杯いろんなことを感じて一杯考えている内に、本当に楽しいことの半分も楽しめていないような気分になります。それでもその時間の中でたくさんの人と出会い新しい自分を発見したりしながら日々が出来上がっていることが幸せなのだと感じる今日この頃です。また一年が終ります。今年も一年間ハニカムとお付き合いいただきましてありがとうございました。来年またお会いしましう。よいお歳を!

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「夕陽に思うこと」

飛行機の中でこんなに目がさえているのは初めてかなって思っていると、何となく次にやりたいことがポロポロ出てきて、それをあてどなくノートに書き込んでいる内に、もうすぐ着陸の時間だとCAさんのアナウンスがありました。窓越しに見える夕景と遠く雲の中に沈んでいく太陽を見ていると、まだまだやり残していることがたくさんあるのに、それを見過ごしたまま生きて来てしまったような気分になります。かすんでいく目と比例するようにやりたいことが増えていくなんて皮肉です。明日晴れて随分寒くなる天気予報を思い出して暑かった香港の夜景を夕陽に重ねてみました。

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「小春日和の日に」

寒い日が続いています。急いで冬用の身体に着替えることが出来ればいいのですが、そうもいかないので猫のように丸くなっています。小春日和とはよく言ったものでこれからが本当の冬ですよと言う前のちょっとした猶予みたいな感じで、あったかいうちにやることやってしまえと言われているような感じになります。忘年会の便りが届きお歳暮の用意と年賀状、年末ジャンボも忘れないようにと思いつくものをすべてぬかりなくこなして、思い残すことなく一年を終れるように過ごしたいなと、こんな天気のよい日に思うようなどうでもいいような感じになります。

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「冬の朝の仕舞い事」

毎週末に決まってやってくる台風をやり過ごしている内に全く影が薄くなってしまった不憫な秋を想いながら、あれやこれやとあわただしく仕舞い事をこなすのです。出そうか迷っていた厚手の服を引っぱり出したついでに、思い切って断捨離をと企んでみたり、ベランダにほったらかしのプランターをこじんまりとかたずけて、扇風機とヒーターとを入れ替えて押し入れにしまってしまうと、おのずと本当に冬になってしまったのだと納得した朝なのでした。アンダースローぎみに差し込む朝の陽ざしにいい感じのインスタショットいただきました。

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「馬肥ゆる秋は合名山で」

近場を散策したついでに、少し足を延ばして柏原市にあるカタシモワイナリーまで行ってきました。最近では名前も規模も広まって来た大阪ワインですが、ワイナリーでは秋に収穫したばかりのブドウを絞って今まさにワイン造りの真っ最中だということで、この時期の見学は出来ないのでブドウ山を望む直売所まで買い出しです。名物の一升瓶ワインを買って飲んでいるですが、このワインぐびぐびいけるので油断していると馬肥ゆる秋のようにになってしまいそうです。奥に見えるぶどう山は数々の受賞ワインを生み出す合名山(ゴメヤマ)です。

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「ノーベル文学賞とお月様」

ノーベル文学賞の今年の受賞者がイギリス人作家のカズオイシグロ氏に決まったと朝のニュースは騒がしく伝えています。随分何年も賞レースの有力候補者に上がっていてなかなか名前を呼ばれないのも困ったものですが、当の本人は全く「以外な」知らせだと自宅前に殺到した取材陣に語ったということです。毎年この時期だけ世の中は興味本位で盛り上がります。毎年この時期だけ盛り上がると言えばお月さんもそうかも知れません。今年の中秋の名月は生憎、水分をたっぷり含んだ雲の中でしたが、寒空の中に存在感たっぷりでした。

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「お彼岸と秋桜の秋」

お彼岸でお墓参りをするためにお盆に引き続き実家に帰省しました。「ちょっと前に行ったよね!」という姪っ子を横に、「そう思うのは同じだが、そこは大人の事情です」とも言えずに、にやってしておきました。何度も言うようですが都会に暮らしていると季節がどこまで進んだかよくわからないのですが、時々こうやってほとんど変わることのない場所にやってくると、季節の移り変わりと同時に、そもそも自分たちが確実に歳をとっているのだと自覚するのです。秋桜が素敵です。なんだかお腹がすく季節になりました。もう十分秋なのです。

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「旅という手段」

週末に上海に行ってきました。思い切ってソロトリップです。歴史に彩られた街並みと高層ビルとが織りなす独特の風景ですが、1本裏道に入れば家々の窓から洗濯物が突き出ていてこれも魅力の一つです。治安は良く公安と防犯カメラを実にたくさん見かけます。人々はエネルギッシュで遠慮していると順番は抜かされる、スピーカー通話、電車は椅子取りゲームの様相です。どれだけ分かり合えても人種は変わりません。それぞれの言語を持って、違うアイデンチティーのもとに生きています。最も大事なことはその国を知ることのなのかと思うのです。旅とはそういうものの一つの手段だと思うのです。

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