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盛る自分2-05 御宿(千葉県) «
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写真00どれだけ遠くてもどんな場所にでも日本の中であれば何かしらでつながっていることは間違いない。どこか行きたいところがあればそこへは道がつながっている、遠くなら飛行機が飛んでいる、陸続きなら鉄道が走っている。海ならフェリーが川なら渡し船がと言う風に。その気になれば日本中どこへでも行ける。そんなことは分かっているがなかなか行けない理由は実にたくさんあるのだ。それでもいつかは行ってみたいなあ!と思うところが日本の中にはまだまだたくさんあって、その筆頭と言っていいのが御宿である。どこにあるのかもよくわかっていないしどうやって行っていいのかも全く分からない。御宿に何があってどんなことが待っているのかはわからないが、ひとつ御宿まで行ってみるか!!
盛る自分2-05 御宿(千葉県) 旅行記へ続く
H29年4月20日(木) 晴れ~月の沙漠を~はるばる~と~~


童謡「月の沙漠」が作られたことを記念して建てられた歌碑と、歌詞の中に登場するラクダに乗った王子様とお姫様をイメージした記念像が御宿海岸の入り口に建っている。また近くには作詞者である「加藤まさを」の作品を集めた「月の沙漠記念館」もあって雰囲気づくりに一役買っている。御宿の旅はここから始めよう!!

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ターゲットアイコン ~ありのままの御宿を感じてみる~

今回のターゲットは「御宿の持つ地理的特異性とそれ故に育まれた歴史に彩られた人々のくらしを感じよう」ということだ。

☆その前に御宿の場所に注目!!

千葉県夷隅群御宿町は房総半島が東にせり出した場所にあり、年間を通じて温暖で海岸線には白砂の浜が続いている。また沖合では親潮である千島海流と黒潮である日本海流のぶつかり合う豊富な水産資源に恵まれた場所であり、同時に海上交通の難所でもある。

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千葉県御宿町位置図

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海ごみドットコム様

©Shogakukan 作図/小学館クリエイティブ様  http://www.umigomi.com/where/current.htm

アクセスアイコン ~東京から御宿を目指すと比較的楽に行けます~

〇車で行く方法 

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関東方面からは比較的道路事情がいいので早く行けると思います。大阪からなら9時間ほどかかるのでゆっくりと風景を見ながらドライブしていきましょう。


〇電車で行くなら東京から特急で80分!!大阪からなら約5時間!

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御宿町観光協会公式サイト  http://onjuku-kankou.com/access/

健康アイコン ~月の砂漠を歩いてみよう~
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御宿町役場 HP  http://www.town.onjuku.chiba.jp/soumuka/map/

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前日は夕方に御宿に入ったためゆっくりと散策ができなかったので、翌朝早めに宿を出て御宿海岸を歩く。山の輪郭が明るくなってゆっくりと太陽が昇ってくる。

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朝陽が差し込んでくると砂浜の表情がしっかりとしてくるのでおもしろい。

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サーファーは朝早くからトライしている。近くの集落には多くのサーファー向けの長期滞在用の民宿があるようで若者の姿がたくさん見受けられる。

スポットアイコン その①~御宿町歴史民俗資料館~

JR外房線御宿駅からまっすぐに海岸へと向かう道の側に御宿町歴史資料館がある。ここには御宿にまつわる歴史的資料や文献が大切に保管され併設で海女資料館もある。

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御宿町歴史民俗資料館正面と日西墨交通発祥記念碑


むかし不幸な海難事故があり当時、集落の人たちが総出で献身的な救助を行った記録を記した石碑が残る。

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海女資料館

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御宿に古くから見られる海女による漁の様子をとらえた写真や当時使われていた道具が展示されている。御宿では海女による漁は現在行われていない。

スポットアイコン その②~ドン・ロドリゴ上陸地~

岩和田の集落を抜けて海沿いに少し進むと海側沿いに碑が建っている。資料館で見た当時の海難事故の詳細が書かれていて、ここはその上陸地であることを示している。

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この文章を要約すると、「家康が将軍の時代、慶長14年(1609)にフィリピンからメキシコに帰る途中だったロドリゴ一行が嵐に会い岩和田の田尻沖で遭難した。村人たちは総出で救助活動にあたりこれを助け37日間これを留める。その後家康に謁見が許され新しく船を作ってもらって遭難から1年後にはメキシコに戻ることが出来た」と言うことである。
資料館にあった石碑に刻んであった文字を見ると「溺死者五十人に及んだが 翌暁 岩礁をよじ上り 岩和田村民救助によって 幸 生還を得た者三百数十人 此の際 里人の救援は真に誠実を〇とした婦女子は其体温によって漂人を蘇生せしめ 村民力を合わせて食糧衣服を・・・」と献身的な救助の様子が伝えられている。

スポットアイコン その③~ロペス メキシコ大統領来訪記念碑と日西墨三国交通発祥記念之碑~
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御宿海岸を望む高台に後年いくつかの記念碑が建てられた。いずれもメキシコに無事生還したロドリゴ一行が当時の日本の人々の親切で献身的な対応を後世に伝えた史実によって、後のメキシコ大統領の訪問などの交流につながったのだ。
高台に立つと晴れた日ならば太平洋の広大な海が青く静かに広がっている。当時、嵐に見舞われたロドリゴ一行には生死をかけた命がけの海であった。言葉も通じない者達に命を預けるしかなかった不安と無事にメキシコに着いた時の気持ちは想像を絶する。

スペシャルアイコン ~岩瀬酒造 岩瀬禎之 海女の群像写真館~
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享保8年(1723年)創業と伝えられる岩瀬酒造の敷地の中に瀟洒な洋館をそのまま使った写真館がある。明治37年(1904年)に御宿で生まれ昭和6年(1931年)から御宿の海女の写真を30年以上撮り続けた岩瀬禎之(イワセヨシユキ)さんのコレクションを自宅に集めたものである。岩瀬氏の海女への情熱はその言葉に表されている。
~とにかく、いい写真を撮ることばかり考えておりました。いい被写体を求めて、海女さんの村に行って驚きました。そこには大自然に生きる素晴らしい光景があったのです。海女さんたちは、素朴で明るく健康的な肉体を惜しみなく晒しての仕事ぶりでした。私はスッカリ海女さんたちの虜にされてしまいました。~

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岩瀬氏の写真は国内はもとより世界的にも認められている。その業績は現在写真集「海女の群像」で見ることが出来る。

岩の井 岩瀬酒造HP  http://www.iwanoi.com/

収支アイコン ~旅の収支と結果の御報告~

電車を乗り継いで約5時間 ¥14700(新幹線と在来線含む)
飛行機では伊丹‐羽田 バス 電車と乗り継いで 約5時間 ¥30750
車で行くと約8時間 576km ¥18580×2ぐらいが目安です。

お土産アイコン ~おみやげ~
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御宿に来ればこれ!伊勢海老をいただきます。毎年秋には伊勢えび祭りが開催されオリジナルキャラクターのエビアミーゴも出迎えてくれます。

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伊勢えび祭りの様子  http://onjuku-kankou.com/event/iseebi/

まとめアイコン ~まとめ~

日本中どこへも行けるがそこに行かないとわからないことがたくさんある。そんなことを思い知らされた旅だった。雨土に触れ風に吹かれてありのままを思い知らされる旅をもっと続けたいと思ったのである。

トピックアイコン

編集後記~
千葉県の上の端で仕事がかたづいたのでいそいそと御宿にやってきたのはいいが、翌日また仕事場に呼び戻されたので、トンボ返りで戻ったので滞在時間はほぼ18時間しかなかったのである。
次来るときは海水浴も出来るほどスタンバイして来たいと思う。

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