なほとか通信 2017 Boss Blog

第7回 Ryuichi Ishikawa Exhibition 草に 沖に

非常に良いコラボレーションだと思った。許された時間だけ許された場所に生える野の草の様で、ただ単にあてがわれた場所に決められた作品を並べただけの展示ではないことがわかる。京都の劇団「地点」と同じく京都の出版社「赤々舎」の初めての共同プロデュースによる試みである。その一端を担ったのが写真家石川竜一であり、もう一方は地点の劇場アンダースローである。

年に数度完成度の高い写真展に出会う。今回もその一つになる。どんな空間を与えられても石川竜一の写真は特有の色が匂い立ち、空間に溶け出してくる。感じることの出来ない臭気を放っている。遠征している劇団員が不在なアンダースローも演劇が開催されている時とはまた違った気を帯びているのであろう。過ぎ去っていく時間が湿り気を帯びている。すでにフレームの納まってしまった草たちが揺れている。必死で生を全うしようとしている生身の草だ。
今回の展示は中央に初出の「草に」?の展示を、左右に「沖に」?のOP1とOP2の中から数点を展示している。


持ってみる写真たち

石川はリーフレットの中にこう書いている。「始まりは。『地下室』を創刊するにあたって、準備するための草号に、実際に草の写真を撮ってみてはどうかというところからだった。単純と言えばそうだが、以前から草についての興味は強い方ではあった。」
つづけて「それは名前や花言葉といった世俗的な事柄についてではなく、どの季節にどの場所にどのように生えていたというものだ」

締めくくりに「人が人であるということは。草と人は。私たちの皮膚の内側で生え茂る草、体。生きようとする意志は過剰か。」と結ぶ。
自然の摂理のままに遺伝子の通りに自らの生を全うしようとする草に石川は圧倒され刺激を受けながらさらには憧れる。のではないだろうか?

撮られた写真はなんとなく人のように見えてくるような感覚に陥る。アンダースローの方と話していると「草のポートレート」と呼んでも良いのだと言う。まさにそうだと思う。

ところでだれが「草に 沖に」なんて良いタイトルを付けたのだろう。

赤々舎のHP 地点代表 三浦基さんの文章がおもしろい。
http://www.akaaka.com/blog/post-18.html

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