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2010年2月15日(月) ソウルの神様

サムクックは特別だと書いたが気まずくなってまた書いている。
サムに出会うもうすこし前、それは今ではリサイクルショップと呼ばれるがらくた屋さんみたいな所によく通っていた頃(そこではドラムセットも買ったことがある)。多感な少年は黒い顔の男たちがストリートにたむろうジャケットのLPレコードに出会う。「スリーディグリーズ」「オージェイズ」とかと一緒に「ハロルドメルヴィンアンドザブルーノーツ」に出会う。ダンサブルでアップテンポな楽曲やソウルフルなバラードといったフィリー・サウンドにはまりこんでいったのである。とにかくかっこよくておしゃれに感じられたものだった。その数年後、神戸のメリケンパークにあった「フィッシュダンスホール(震災まではあった、今もあるのだろうか)」で初めて彼らのライブを目の当たりにして衝撃が走ることになる。当時彼らは50歳を超えていたはずなのに、その華麗で軽やかなダンスをそのアグレッシブな歌声を今も鮮明に覚えている。今でも彼らをソウルの神様だと僕は思っている。サムは特別なのは変わらない。今もその当時のLPレコードが残っている。

2010年2月16日(火) 清志朗とともに

久々にHEP FIVEに行ってきた。HEP HALLでやってる「個展 忌野清志朗の世界」を見るためだ。
せまくるしい会場には清志朗がまだ栗原清志だった頃からの絵画と漫画とデッサンと清志朗になってからのステージ衣装やアルバムポスターだったりが所狭しと並べられていた。何を見に来たのか?はよくわからなくなってしまったが満足して出てきた。いつもそこにあったのでそんなにかまわなくていいものが急に無くなって困ってしまうことがある。言い方が悪いかも知れないがそんな気分だった。清志朗がいなくなって青山に飛んで行くことは無かったが、今更のようにCDを聞き返したりDVDを見ている。清志朗がRCサクセションとしてデビューしたのが1970年、清志朗とともに生きてきた時間が39年。スティーブクロッパーのプロデュースによる「夢助」を聞いてほしい。ナッシュビルの乾いた音の中に、清志朗のソウルが詰まっている。