笠井爾示写真集

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笠井爾示 Chikashi Kasai「波珠(Najyu)」青幻舎、2001年。

笠井さんは1970年東京都生まれ、東京都在住の写真家である。1980年渡独し、旧西ドイツ・シュトゥットガルトのルドルフ・シュタイナー学校を卒業、1988年に帰国する。1995年多摩美術大学美術学部デザイン学科 建築・環境デザイン専攻を卒業。在学中の1993年写真ワークショップ「Corpus」に参加。1994年に写真雑誌「デジャ=ヴュ-No.18、New Tokyo Photographers-身体映像としての都市」に、紺野久美子、金村修、吉野英里香、長嶋有里枝、野村左紀子(敬称略)らと作品を発表、写真家としてデビューする。この頃写真家 Nan Goldin(ナン・ゴールディン)氏と出会い、氏の教えるサマーアカデミーに参加するなど、以来親交を深める。1995年個展「Tokyo Dance」(タカ・イシイ・ギャラリー)を開催。1997年3月ファースト写真集「Tokyo Dance」(新潮社)を刊行。同書にはナン・ゴールディンが「The Cry Under the Covers/秘められた叫び」を寄稿している。同年8月、父で舞踏家の笠井叡(Akira Kasai)とのスタジオ・セッションを収めた「Danse Double」(フォトプラネット)を刊行。2001年11月「波珠」(青幻社)を刊行する。その後も音楽やファッション、カルチャー雑誌などで活躍し、ジャケットやグラビア写真集も数多く手がける。その他の写真集に「KARTE」(Noyuk、2010年)、「東京の恋人」(玄光社、2017年)、「となりの川上さん」(玄光社、2017年)、「トーキョーダイアリー」(玄光社、2019年)、「七菜乃と湖」(リブロアルテ、2019年)、「BUTTER」(玄光社、2019年)、「羊水にみる光」(リブロアルテ、2020年)などがある。その他国内外での個展・グループ展が多数ある。

2007年2月3日 match and company 町口覚氏の投稿記事に、写真集「波珠」に入れられた「ちょっと裏話」と題された小冊子の内容が掲載されているので、さわりの部分を掲載させていただきます。尚、注釈は省きました。以下対談形式で進みます。

笠井:この写真集って温泉ばっか(笑)。最初は一人で撮ってたんだけど、もともと僕、一人が嫌いだから。で、町口がさあ「外行け、外行け」って言うから、みんなを巻き込でロケを始めたわけ。その第一回目のロケにつき合ってくれたのが、今日も来てくれてる清子ちゃん。
町口:彼女も一緒に行った渡良瀬遊水地が、最初のロケ地。去年の六月だったけど、すごく暑かったな。
笠井:一応撮影のために行くんだけど、どこ行っても楽しいことがたくさんあるのよ。だから、遊んで疲れてファミレスとかで食事して、結局撮影なんて、一日のうちの三割にも満たない。行く場所が決まるとどこに温泉があるとか、バッティング・センターがあるとか調べたりして、そういうスタンスがものすごく心地よかった。一年間、そういうことやってた結果が『波珠』です。
清子:一人は嫌いなんだ。
笠井:一人旅とかしたことない。僕、十代の頃、長いことドイツで一人暮らしだったし…。僕リゾートが好き。
清子:ふーん。町口さんは、なぜ「外行け」て言ったの?
町口:僕が「外行け」って言ったのは、『Tokyo Dance』って、すごく閉鎖的だと思ってたわけ。色とかでごまかしてるんだけど(笑)、爆発力だけで勝負してるって感じ。で、ちょうどあの写真集ができる頃、僕は佐内正史の『生きている』を作ってて、全然逆の世界にいた。でも、その前から爾示の写真には興味があったんだよね。いつか爾示の写真集を作るんなら東京じゃない、っていう気持ちがあった。『Tokyo Dance』の、ひらけてそうだけど息苦しいみたいな、そこがいいとこなわけだけど、そうじゃないもの。だから次はその逆行け、みたいな感じで。でも、いざ作ろうと思った時、写真がなかった…。
笠井:なかったわけじゃなくてさ。僕も、いずれは次の写真集を作ることになるとは思ってたし、そういう心構えもあったんだけど、『生きている』にしても大橋仁の『目のまえのつづき』にしても、写真集を作るのに町口ってすごく時間をかけてる。それを知ってたから、こっちも気合い入れてやらなきゃとか思ってて。あの年は、三月に俺が出して、四月に佐内が『生きている』を出して、五月に大森克己さんが『Very Special Love』を出したんだよね。
町口:そうそう。爾示と大森さんが出すっていうから、佐内もそのタイミングで出さなきゃって思ってさ。あの頃は佐内の写真集を出すのって、すごく大変だったんだよ。出版となると、まだ誰も目を向けてくれない感じで…。その三冊だったら、一番好きなのは『生きている』だけどね(笑)。
笠井:『生きている』の話はどうでもいいんだけどさ(笑)。俺、最初は町口って全然信用できなかった。
町口:いっつもそう言うな。よっぽど根に持つことあったわけ?
笠井:『生きている』を見て、信用したよ。でも、その前は写真家になるには「こういうことやれば、こうなる」とかって、いろいろ言うわけよ。僕自身、自分を写真家としてどこまで信用していいのか分かってないような時期だったからさ。で、町口は仁とやってたりしてたから、俺は俺でやろうと思ってた。(中後半部分省く)
二〇〇一年八月十六日、「居酒屋・みまつ」にて
つづきはここで