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サントリーウィスキー山崎工場には、今もNo0001とナンバーリングされたウィスキーの熟成用の樽がある。日本の代表的なウィスキーの一つとして、現在では世界でも評価が高い山崎ブランドの歴史も、すべてこの樽から始まった!と言うとそんな簡単な話ではないような気がする。事実この古びた樽の塗装が施されたその面には別の文字が彫り込まれてあって、その意味は分からないが、山崎で始まったウィスキー作りが順風万班にスタートしたわけでは無いことを感じさせてくれる。うがった見方かもしれないが、日本で初めてウィスキーを作ろうとした人達の紆余曲折の物語があって、何度も塗り重ねられた長くて深い歴史の積み重ねの中で、この樽がはじめてNo0001になったのではなかろうかと勝手に思ってしまうのである。

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サントリーがこの地に山崎蒸留所を始めたのは1923年。当時日本で初めての本格的なウィスキー作りを任された竹鶴政孝は、ウィスキーの本場スコットランドで蒸留法を学び、その地とよく似た気候である北海道を蒸留所建設の候補地に選んだ。しかしサントリー創業者の鳥居信治朗は長い間ひっそりと眠るようにして貯蔵されたウィスキーを作っていたのでは当時の日本ではウィスキーは広まらないし馴染まないと考えていた。鳥居の考えるウィスキーは本場の味を誰もが手に取れる価格で提供出来ることと、その蒸留所は本場スコットランドの蒸留所の雰囲気を誰もが簡単に見学出来る場所にあることが重要だったのだ。事実今では週末になると山崎蒸留所は工場見学やセミナーに参加する為に集まって来る人達で一杯になる。創業者鳥居信治朗の信念は間違っていなかった。

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工場見学は時間が合えば当日でも参加が出来る。機械化されている工程があるにせよ、創業当時の工程と何ら変わりない製法で今もウィスキーは作られている。仕込み・発酵室に入るとPOTSTILLと呼ばれるアラジンの魔法のランプを想わせる巨大な蒸留機が並び、麦芽に熱が入ったむっとする空気の圧力とその香りに圧倒される。次々と蒸留されて冷えて落ちて来たモルト原酒は、次々と一時貯蔵タンクへと流れ込んで行く。産業革命を迎えたイギリスの工場さながら、工業製品のように繰り出されたモルト原酒がこの後気の遠くなるような熟成の時間を迎えるのである。

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事前にネット予約しておけば各種のセミナーに参加出来る。この日は「The YAMAZAKI~日本の風土と日本人の感性が生んだウィスキー~」に参加してきた。実際に山崎の土地を訪れてその空気感に触れながら、生産工程を体験し詳しい説明を受けた後のセミナーとなるともう山崎信者になったようなものだ。セミナー会場では3種類の熟成の違うウィスキーをテイスティングしながら山崎の魅力を体験することが出来る。このセミナーの一番の見所は加水体験である。ストレートの状態のウィスキーに少しずつ水を加えることによって変化して行くウィスキーの香りに気付く。ぱっと花が咲く様な瞬間が誰にでも体験できるのでこれは分かりやすくて面白い。こうやっておいしいウィスキー作りのポイントを教えてもらいながら、参加者はこの後販売コーナーへと導かれて行くのである。山崎のセミナーは現在ではほとんど満席なことが多い、また開催を控えていることもあるという。

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このずらっと並んだ芸術品に近いホワイトオークの樽の中で眠るモルト原酒を10年か15年後に飲んでいるのだろうかと考えると、ちょっと待ってみるのもいいかと言う気分になるのだ。

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