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東京駅に降り立ったが今日はここが最終目的地ではないので先を目指す。降り立ったこともなければ向かったこともないというのが東北新幹線のホームだが、つまり東北は飛行機で行くものだと高をくくっていた。でもこうやってホームに立つと他の線のホームよりも高い所にあるのに気づく。屋根の間からは修復工事も終わろうとしている東京駅の屋根が見えている。今日は天気がいい。


東北新幹線から見た東京駅の様子

あまり知識がなかったのでこれでしか仙台まで直行で行かないのかと思い、はやぶさでお願いします。とみどりの窓口で言うと、そうですかE5系ですね、そうすると・・・と、どうやらマニアのお願いみたいに聞こえたらしく申し訳ないほど探していただいた末に、9:36分発の新青森行きの切符を取ってくれた。待っていると畏れ多いと言うか、何だこの色はというか、どれだけ長いのだという感じの鼻先の車体がホームに入って来る。


みどりの車体

新青森行きはやぶさ

きちんと並んで車内に入ると、真新しい洗練されたデザインに落ち着いたファブリックといいこれはマニア必見だと思っていると、おもむろに見学や写真撮影の為のグランクラス(グリーン車)の通り抜けはおやめ下さい。というアナウンスがある。そんなこと言うから行きたくなるのだろうなと思っているとするりとはやぶさは東京駅を発車する。それから1時間半、左向きの首も、たいして変わらぬ風景にもそろそろ悲鳴を上げようかという頃に、仙台に着いた。


曇り空の仙台駅

松島駅

今日は松島に行くのだ。仙台駅は相変わらずの曇り空だが、ここに来るといくつかの旅の思い出もよみがえって来る。以前松島に向かった時に乗り込んだ電車が実は目指している場所とは少し違う所に到着して、寒空を歩いたことがある。何だもう一本違う線路の電車に乗らなくてはいけなかったのだと悔しがったこと。今回も乗り込んでから思いだした、また同じことを繰り返す。


以前訪れた時の様子

3年前の暖かい春の日に僕たちは松島を訪れて、観光遊覧船でカモメと戯れていた。あれから2年後に松島にも津波が来た。何もかも流されたかに思った松島にも1年後には春が来て、観光客も戻り始めている。そしてカモメはずっとそこにいる。


瑞巌寺の山門

長い参道

遊覧船に乗り込むまでに時間があったので、仙台の有名なお寺瑞巌寺に行って来た。少しだけ出来ることはやっておく。この門の少し中までも津波は来ている。瑞巌寺の門前で遊覧船の乗り場の近くにお土産物屋がいくつかあって、その中のカレーパン屋さんに寄ってみた。寒くて手もかじかんでいたので、あったかいコーヒーとともにカレーパンを食べた。どうしてカレーパンが¥300もするのかと驚いたが、中に牡蠣が3個も入っていてそしてずいぶんとおいしいのだ。


牡蠣入りカレーパン

牡蠣が3個

ちょうどいい時間になったので船着き場に戻り船に乗り込んだ。観光地と言うのは変わらないのが観光地なのだ。アトラクションのように新しく作り変えられるものではあってはならない。いつ行っても同じかまたは経年の変化を楽しむような風情がある。松島は変わってしまったのであろうか?それが一番知りたかったこと。


松島港の様子

小さいタイプの遊覧船

かもめのおとも かっぱえびせん

松島の島々

新聞の報道によると、松島は奇跡の街のように報道されている。隣の東松山市の津波での死者が650人を超えると言うのに、松島市はわずか1名にとどまっている。沿岸から押し寄せる津波のパワーをそれぞれの大小の島が打ち消しあって小さくした。島が守ってくれたのだと老人は言う。それでも人が住む中規模クラス以上の島にかかっているつり橋が流されたり、重要な産業である牡蠣の養殖棚が流されたり被害は目に見える範囲でも甚大である。


津波のパネル

松島の人達は言う。我々には前には松島の島々、後ろには瑞巌さんがある。必ず再生します、と。あれから数カ月松島の遊覧船は復活した。お寺の和尚さんも手伝ってがれきを片付けて汚泥を除去して再開にこぎつけたのだ。今でもその当時の様子を映した写真パネルが壁に飾ってある。そして津波がここまで来ましたとの表示がそこにある。


はやてとこまち

こまちの車内の様子

東北まるごと弁当

特製はやぶさペットボトル

帰りはこまちに乗った。こまちとは秋田新幹線のことで、前に東北新幹線のはやてと連結して盛岡から東京まで走る。内装がすごく格好いいと思ったのは僕だけかもしれないが・・。ただし以上にノッキングが多い。多分はやてがブレーキをかけるとこまちがつっかえるといった具合だ。かなり嫌な揺れが来る。でもこまちはいい。そんなわけで東北まるごと弁当とミネラルウォーター特製はやぶさペットボトルを戴きながら、仙台にさよならを言う。松島の街が仙台の街が宮城の街がすべて復旧に向かっているわけではいが、普段通りの観光地としての松島が戻るよう僕は応援したいなと思っている。

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