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毎年春の訪れが遅くなっているような気がしている。もちろん錯覚だと思っているが、人間がその分身勝手になっているような気になる。重い腰を上げて今日は天気もいいので実家に帰って来た。遅い春を迎えに行こうという企画は昨年やったので、今年は春を探しに行こう2012に名称を変更した。お彼岸にお墓参りが出来なかったとはいえ、毎年墓参りに何度か帰るようになったのは最近の様な気がして気が引ける。

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懐かしい我が家も時間が経つにつれて人の家に来ているような気分になる、それは考えると僕達が暮らしていた子供の頃より登場人物が増えたことによると思う。いつまでも子供のままではいられないので、自然と大人になった風を装って家を出た頃から考えるともう長い時間が過ぎた。春とはいえ、咲き誇るほどの力強いものは何もなく、あるのは真っ赤な南天の実と昔から見ているけど名前も知らないこの青い花ぐらいしかない。タンポポも咲き誇るレンゲの草原も出番はもっと後に控えている。車がびゅんびゅん通る国道沿いに咲きあふれた菜の花畑に年老いて腰の曲がったおばあちゃんが野良仕事をしていた、この風景が田舎の風景なのだと思う。あぜ道の先にいる犬小屋から覗く白い犬。田舎には田舎の味わいがある。

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ケキョケキョケキョケキョと鳴き始めたのは確かにウグイスだった、姿が見えないので探していると次の瞬間にはホーホケキョと鳴いた。先生がいいのか今年の泣き始めが早い、見上げると梅が咲いている。

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我が家には昔から井戸があって、津田式と書いてある手動のポンプの柄の部分を何度か上下するとこれでもかと言うほどの冷たい水があふれ出ていたことを覚えている。この井戸が深いのかは覚えてないが今はもう水は出ない、そう昔井戸に落ちた猫を救出した記憶がある、そして台風の日に泣き声だけする猫を探して山の中の竹林を捜索して竹の先端から猫を救出したこともある。思えばずっと猫を助けて生きていたような気がする。でも誰にも猫にもお陰さまでとかお世話になりましたとかお礼も言ってもらったことも無いのに。

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墓参りが終わると恒例のつくし採りが始まるのだが、僕にはこの面白さがわからないのでいつもぼーっと写真を撮っている。もともと採集民族の血は受け継いでいないのか血が騒がないのだ。一通り春の観察が終わって帰って来ると夕食が始まっていた。そしてこのあと一番の感動体験がやって来る。過去に何度かいろいろな所に書いて来た、花月堂の丁稚羊羹がなんと目の前に置いてある。しかも贈答用の化粧箱に入って!自転車に乗ってふらふらと遊び歩いていた子供の頃に、買い食いをするために寄るお店のレジの脇に置いてあったものは、透明のパック(夜店で出てきそうな輪ゴムでとまっているパック)の中に3本ほど入って多分100円ぐらいのものだった。それが今では箱一杯。驚くべきほどの重量感!このフォルム!僕はもう大人になったのだ。

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その日は姪っ子の誕生日だったのでお祝いをした、その後ケーキを食べて、そして羊羹を食べて、またお茶を飲む。そうやって僕たちは大人になって行くのだよ。と伝えておくのを忘れた。僕が言わなくても大概の事は世間が教えてくれる。だから真っすぐに生きて行きなさい。僕は羊羹を食べる。それでいいのだ。

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というわけで春を探しに行ったのに、思わぬ春に出会ってしまったような、そんな一日でした。おしまい!

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