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8月1日(月) 静と動の祭り 天神祭 全力取材

天神祭ほどその名を全国に知られた祭りはないが、その由緒祭礼の意味がわかりにくい祭りもない。祭りのクライマックスの陸渡御船渡御奉納花火が行われる7月25日は、全国から130万人の人が訪れて天満あたりの界隈には人がごった返す。何をやっているのか?わからないなら調べようと言うことで、全力取材を敢行してみた。

今回、詳しい情報をすべて大阪人-天神祭の歩き方地図-から転載させていただく、本当に分かりやすいので興味のある方はぜひどうぞ一家に一冊、780円だ。

天神祭の縁起にはこう書いてある。年に一度氏地を巡行される神様に、氏子たちが先導と御供の行列を組んだのが始まりである。つまり神様が治めている領地の中を見て回る時に、領内の者たちが道先案内をしながら付いて回ったことが起源である。

では祭りの中心は何かというともちろん神様・菅原道真公である。天神祭の巡行は大阪天満宮を出て陸渡御・船渡御とまわり、また天満宮に帰って来るが、陸渡御は大きく三つにわかれている。

祭りの先頭は威勢のいい催太鼓(もよおしだいこ)が務め、その後に道案内の猿田彦(さるたひこ)、行く手を清める神鉾(かみほこ)市場講(いちばこう)の地車(だんじり)獅子舞と傘踊りの大集団が威勢よくあでやかに通り過ぎる。その後を御神酒講(おみきこう)・畝女(うねめ)の行列・・・と続く、これが第一陣。

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道案内の猿田彦
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行く手を清める神鉾
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采女

その後黒烏帽子に白装束、騎馬姿の総奉行(そうぶぎょう)が現れると、静かな渡御列の第2陣が始まる。神聖なや優雅な御羽車講(おはぐるまこう)・御錦蓋講(おきんがいこう)などの神様の道具に続いて、祭りの中心の御鳳輦(ごほうれん)が登場する。その後を神童、斎王と続く。

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総奉行登場、陸渡御は第二陣へ
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御羽車
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神様を覆うご御錦蓋講

最後を行く第三陣は勇壮な二つの神輿鳳神輿(おおとりみこし)玉神輿(たまみこし)が登場して祭りを盛り上げる。三部構成約3000人と言われる隊列が、天満宮を出門しその後大阪市役所・大阪市公会堂などの前を練り歩き、天神橋北詰から今度は船に乗り大川を進んで行く。

その際にお出迎えの船が川の上にごった返す。その様はまさに大阪のお祭りの醍醐味だろう。そして夜空を彩る奉納花火が打ち上げられると、華やかな祭りは静かなラストを迎える。船渡御を終えたすべての巡行は陸に上がり、また天満宮に帰って祭りは終わるのである。

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凰神輿の勇壮な姿

太鼓中の赤烏帽子の願人

祭りの先陣を務めるのは、祭りの始まりを知らせて回る催太鼓を担いだ太鼓中(たいこなか)と呼ばれる集団である。中でも目を引く赤烏帽子を身に付けてブチ(ばち)を握り太鼓を叩く願人(がんじ)は、36名いて、一回に6名づつ太鼓に向かい合って座る。陸渡御の際、中央公会堂の前で行われるからうすと呼ばれる太鼓を大きくゆする神事には見物客から歓声があがる。天満宮直轄の講であり間違いなく祭りの花型である。

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太鼓中の赤烏帽子の願人

市場講の地車

とは氏子が結成した有志の組織であるが、様々な業種別に結成された集まりがおのおの出し物をするような感じに捉えていいのではないかと思う。

天満卸売市場が主体の地車講では1852年に製作された三ツ屋根地車というめずらしいだんじりを曳いていく。太鼓中のあとを追うように、地車囃子は祭りを盛り上げるのである。宮にある間は囃子にあわせて軽妙な龍踊りが行われており、祭りの風物詩になっている。

そのほか酒類食品の製造業で組織された御神酒講。料飲組合を中心とした御旗講(みはたこう)など様々の趣向を凝らした講が進んで行く。

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市場講の地車
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御神酒講

獅子舞と傘踊りの天神講獅士

天神講と呼ばれる獅子舞と色鮮やかな花傘を手に持った女性達の大集団が過ぎていく。天満宮近くの菅南地区の子供達は3歳位になると遊びで傘踊りに参加する。

手が大きくなると四ツ竹と呼ばれる鳴らし物を鳴らせるようになり、男の子は高学年になれば獅子舞のしっぽを持たせてもらえる、やがて中学生ぐらいになると獅子舞を舞うことが出来る。こうやって600人近い天神講の大行列は絶えることなく続いているのである。背中に付けたがとてもかわいい。

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花傘の大集団
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背中の鈴がかわいい

御鳳輦(ごほうれん)には願掛けを

天神講が行き過ぎ、第二陣の始まる頃になるとおのずと厳かな雰囲気が漂ってくる。先頭の馬にまたがった総奉行が現れていよいよ神様のお出ましである。

様々な神様の道具の行列が始まり、続いての屋根に鳳(おおとり)を載せた御鳳輦が登場する。渡御列の中で最も静かに最も粛々と担がれて行く。神輿がすぎるまでに願掛けをすれば願いがかなうということである。

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神童と斎王の行列
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神様を乗せた御鳳輦/ごほうれん

鳳神輿と玉神輿

第三陣は巨大で勇壮な二つの神輿、鳳神輿玉神輿が宮を出ていく。重さ2tの神輿を約70人で担ぎ午後五時に宮を出て市役所、公会堂と周り、お宮に帰って来る午後8時半過ぎまで、船に乗せている以外はほとんど200人が交代で担いでいる。

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鳳神輿の宮出し
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玉神輿の宮出し

肩は腫れくたくたになるが宮入りの頃には誰もがまた来年もと思うのもやはりそれが祭りであるからだ。鳳神輿菅南連合八町会の講玉神輿大阪中央卸売市場本場市場協会の講である。

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玉神輿の乗り手

船渡御とどんどこ船

祭りは陸渡御から船渡御へと場所を移す。そのまえに列外船(れつがいせん)のどんどこ船の話をする。すべての船がモーターか台船と呼ばれるひっぱられる運搬船なのに対して、手漕ぎの船が2隻ある、それがどんどこ船である。

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先触れのどんどこ船

祭りが始まる前から大川から西横堀川を通り、道頓堀川までを祭りを知らせて回る。なんとこの船、太鼓中が宮出しされた後に陸揚げされて宮入りするのである。

陸渡御の祭列が天神橋の北詰に付くと祭りの舞台は水上へ移る。神輿や神具などはクレーンで船に運ばれ、催太鼓の載せた船を先頭に御鳳輦奉安船(ごほうれんほうあんせん)と御供の供奉船(ぐぶせん)が出港、一方神様をお迎えする神楽船(かぐらぶね)などの奉拝船(ほうはいせん)も出港して、150隻にもおよぶ渡御船団が大川を行き交う。船同士はお互いに手打ちを交わし祭りの気分を盛り上げる。船の上でも様々な神事や奉納の催しが行われる。

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御鳳輦奉安船
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鳳神輿船渡御

大阪締めの手打ち

打ちましょ、パンパン、もひとつせ、パンパン、祝うて三度。パパンパン天神祭にとって、大阪締め手打ちは重要な意味を持っている。

陸渡御では宮出しのあと表参道、鳥居筋付近でさかんに手打ちが見られる。船渡御の船同士も手締めを交わして挨拶をしている。交わす相手も交わす順番もすべて決まっている。打ちまーしょという男締め打ーちましょと伸ばす女締めがあり、天神祭以外でも商売ごとの集まりなどで大阪締めは使われている。

そのほかのお祭り

天神祭は様々な神事やたくさんの行事が行われているが、宵宮の日には各商店会の神輿も宮入りをする。子供も赤い烏帽子を付けてもらい太鼓を先頭に神輿を担ぐ。その際オーディションで選ばれたあでやかな花娘達が目を引く。そのひときわ華やかな髪飾りも透き通った衣装もこの世にないもののような感じさえする。

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宵宮の市場講
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花娘

お祭りについて

日本中に数ある祭りはすべてそうだと思うが、もとは神社などの神事があって、その御利益に少しでもあやかりたいと言う民衆の心があって、その内についでに盛り上げてしまおうと言う民衆の力があって今に至っていると思う。こんな時代と言うが、祭りをこんなにみんなが真剣に取り組むことが出来る日本は幸せだと思う。だから少しでも長く少しでも楽しく祭りに参加出来ることを望むのである。

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烏帽子の子供
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天神橋3丁目の神輿

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